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やりたいことをやらせる、やりたくないことをやめさせる。

最初の記事ということもあり、自己紹介ポエムと洒落こもうではないか。

安易に「~~やりたい」「~~やりたくない」と言いつつそれをやり続けたり、やらないままでいたりする。そういう人は多い。私もその一員である場合がある。しかし、そうは思いつつも「なんでやらないの」「なんでやるの」と声をかけてしまう性質なのだ。

もちろん、「~~やりたい」「~~やりたくない」という言葉の裏には、でもこういう障害があってできない、やらざるを得ない、ということを含んでいる。最も顕著な例としては「働きたくない」であろう。その例ではさすがに声をかけにくい。しかし、「あのゲームやりたい」ではどうだろうか。こういう場合、特にここで指しているゲームが好きなゲームの場合には思わず声をかける。

障害があるということは必ずしもできない、やらざるを得ないわけではない。目的に対して障害を越えるのが見合わない場合にできない、やらざるを得ないのである。したがって、声をかけるときには次の2通りのアプローチの仕方のどちらかを考えるのだ。逆に、その2通りのアプローチがどちらも思い浮かばない場合には声をかけにくい。

1つ目のアプローチは障害を緩和してやることだ。物が手に入らないとか高いとかそれだけなら与えてでもやらせたい物なら与えてやるのだ。ここで面白いのは、自分も「やらせたい」と思った際に障害を乗り越える必要がある。

2つ目のアプローチは目的に対しての評価を高くすることだ。自分が良いと思ったものを良いと広めるのだ。いろいろな人が高く評価している物事に対しては高い評価を下せる期待をもてて、目的としての評価が高くなることもある。

ところで、なぜ声をかけてしまうのか。その発言をした友人知人の類が楽しそうにしているのを見たいからであろう。それだけではなく、アプローチが失敗に終わった場合も時折、自分の間違いに気づかされることもある。どちらも自分のためになっていそうである。もちろん、実にならない話に終わることも多いのだが、結構声をかけて得をしているのでゲーム理論的に正しそうである。

声かけ得であるから、これを見た人も「~~やりたい」「~~やりたくない」というのを見かけたらアプローチを胸に「なんでやらないの」「なんでやるの」と声をかけていこう。

 

人の金で酒が飲みたい。